ものごとには「目に見えている」部分と、「目に見えない」部分があります。その比率はと言えば、目に見えない要素の方が圧倒的に多いということが次第に理解できるようになると思います。
例えば、人間関係で悩んでいる場合、自分の感情や気持ちといった要因は、実は本質からほど遠いところにあったりします。一時的な要因に過ぎないかもしれない。
実際にあった出来事も、きっかけになるには違いないですが、本質ではないかもしれない。
例えば、子供が勉強のことで悩んでいたとします。でも勉強ができない原因は、全く別のところにあるケースも珍しくない。「勉強」が問題ではなく「環境」が問題であるケースなどです。
今、現実に起こっている問題が、もっと深い場合もある。例えば、過去世のカルマが影響していたり、自分の生命が成長する為の運命的イベントだったりする場合もあるはずです。
私たちは過去世の生命を引き継いで転生してきています。つまり潜在意識下には過去世の記憶が残っているのです。もちろんその記憶は、普段から自覚することができない。
でも確かにある「記憶」が、恐れや不安、怒りや悲しみとして生命に残っていることもあるわけです。
そうした目に見えない恐れに対する反応が無意識で起こります。それは他者に対する怒りや、拒絶などの負の反応として出てしまう。だから問題を起こすのです。過去世と同じようなパターンに陥ってしまうのです。このパターンが人によって違うだけなのでしょう。
もちろん、こういった運命的な出来事にも意味があります。生命の成長のために、起こるべくして起きているのかもしれません。生命の成長の為には、過去の自分を一度壊す必要があります。過去の間違えに気がつき、新しい自分に気づくために、破壊と再生の過程が起こるはずです。
これらの時期、タイミングはホロスコープから読めるので、単なる偶然ではない事もわかります。
だからこそ目に見えている状況だけで判断していくと、本質を見誤るのだと思います。
目に見えている状況しか見ていないと、人は得てして「無力」になります。
「何もできなくてごめんね」という言葉の奥には、本質が見えていない姿が浮かんできます。
人には意志という武器があります。どんな状況でも、希望の未来を見据え、前に進んでいく能力です。そしてその後押しをすることです。
もし誰かが道を誤っていたら、黙っているのは正義とは言えません。優しさでもありません。道を修正し、正しい道を歩いていく勇気を持つように、導いていく事が正義だと思います。
だからこそ、正しい道か、誤った道かを見極める為には、目にする世界だけで判断していたら、答えを見誤るのだと思います。
ある人にとっての真実は何か?真実の幸福は何か?きちんとその方向に向かっているのか?
人の心を傷つけているか?人の心を癒す方向に進んでいるか?
過去の過ちを繰り返しているのではないか?宇宙が与えてくれている使命の方向に進んでいるか?
ものごとの本質を知るということは、決して簡単なことではないと思います。
誰でも人間である以上、間違えもする。だからこそ日々学んでいかないといけない。
だからこそ「人間教育」が必要だと思うのです。
大切な人を守るために。
そのためには、自分が日々成長していくしかないのだと思います。

