九識に学ぶ世界観

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個性占星術においては、私たちの生命は宇宙の生命と同一であるという「ワンネス」の思考と、人間は「輪廻転生」を繰り返して生きてきているという思想がベースに、生命の個性を読み解いています。
量子論をはじめとした近代科学でも、この2つの概念は証明されつつありますが、その具体性をと言えばまだ未知の領域であります。この2つの仕組みをうまく解説できるものはないかを探していましたが、より具体的に、明確な思想感を示しているものは、なかなかありませんでした。
そこで原点に返り、仏教思想であり、天台大師が確立されたとされる「九識」を元に検証していきたいと思います。

人の顕在意識は五識+意識

九識とは、人間の生命を9個の層に分けて論理付けて解説したものです。今の深層心理学にも影響を与えたと考えられます。たったこれだけの中に、輪廻転生とワンネスを一気に読み解くヒント(答えと言っても良いかも)が表されているのです。

まず五識は人間の感覚や知覚の事です。五感と言った方がわかりやすいですね。
そして六識は「意識」。五識をコントロールする人間の知性と言っても良いでしょう。
人間の日常生活においては、この六識までが現れており、自分でも自覚できる事から心理学では「顕在意識」と呼ばれています。

末那識 「個」を自覚するもの

七識は「末那識(まなしき)」と言われています。心理学でいう「潜在意識」の入り口にあたる部分です。
人間は大宇宙という生命から、個々に役割を与えられた「個」の存在なのですが、その「個」を「自覚」する役割を持つためのものと考えられます。

「全体」である宇宙生命から「個」としての私たちを「位置付ける」もの、独立した「個」を意識させるためのものと言えるのではないでしょうか。

この末那識があるから、私たちは「一人の人間」としての人生を歩み、私以外のものを「別の存在」として捉えることができます。自分の心の中に、他者を入り込ませない為の「心の壁」と言っても良いかもしれません。エヴァンゲリオンで言うところの、ATフィールドですね。(知らない人はすみません)

この末那識には2つの意味があると思います。
一つは、上記の通り、他者と分離して自己を確立する為のもの。もう一つは、宇宙生命という本質に繋がっていく為の心の扉の役目です。

占星術によると、宇宙生命から分離されて人として誕生した段階が牡羊座。他者をあまり意識できず、自分を強く意識します。そして自己が確立された段階の乙女座は、現実世界を強く生きて自己を確立させてきた結果、この末那識が強くなりすぎてしまっている。そして、そこから社会に出て、他者との学びを経験する中で、最後には本来の自分、つまり魚座の示す宇宙生命の自分に戻っていく・・という一連の流れがある事がわかります。
ちなみにこれは、太陽星座よりも、冥王星の星座からその本質を読み解くことができます。

さてアイデンティティという言葉があります。これは自分が何者なのかを自覚するという意味です。占星術においては「アイデンティティに傷がある」というワードが頻繁に現れます。これは、自分が宇宙生命だと自覚できない傷と解釈できます。物事を目に見える状況でしか判断できず、過去の経験や学び、自分の価値基準から来る「思考」にばかり頼ってしまうケースとして現れます。だから正しいよう見えても、本質から遠くなっている場合も多いのです。また他者を強く意識しすぎて防御したり、自分の価値観に他者を当てはめようと無意識に行動することもあるでしょう。

科学が進歩して、思想が低迷している現代は、人類全体にこのような傾向が強く現れているのかもしれません。きっと占星術が誕生したような昔の時代の人々は、この末那識の扉が開いていたのでは、と想像できます。

阿頼耶識 業の貯蔵庫

仏教においては、人生の中で、人の心を癒したり救うなどの善行を行えば「善業」が、人の心を傷つけるような悪行を行えば「悪業」が、業(カルマ)として生命に積まれていくと説かれています。

その業は、生死を繰り返しても引き継がれていくのです。これは、人間が死んだら、別の人間になって生き返るという事ではなく、同じ「個」としての「続きの人生」を送る事が明確に示されているのです。つまりは、業は自分自身に「相続」されるものと捉えることができます。

つまり、苦しんだ心のままで人生を終えた人は、来世でも苦しんで生まれてくるという事です。悩みを抱えている人が眠りについても、起きたら悩みを抱えたままの現実がそこにあるのと同じです。
何かの課題をやり残して人生を終えた人は、来世でも同じ課題を持って生まれてくるという事です。
生を終えたら、苦しみや悩みから解放されるものではありません。ある意味、真理は厳しいですね。

ここで重要なのは、過去世の業は、積み重ねられて、それが引き継がれて生まれてくるという事。その業が保管されている場所が、阿頼耶識(あらやしき)だと説かれているのです。

阿頼耶識は、大宇宙の生命の中で、同じ業を持った人々と常にその業のエネルギーが融合しています。
という事は、例えば家族の問題で悩んでいる人は、その家族の他の人も同じ業を持っているという事。その業を抱えている家族は、過去世においても出会っており、その業の為に、同じような問題や悩みを繰り返してきているという事です。切っても切れない縁を持ち、幾世も幾世も出会いを繰り返し、同じ過ちを繰り返しし続けてきたと考えられます。

だから業から逃げても、逃げられるものではないと知るべきです。目の前に起きた問題から逃げるのではなく、悪い業であるならば、その業を断ち切っていくしか、先に進む道はないのです。
今世で業の問題に直面し、それを解決せずに逃げ出してしまったら、今世の業も上積みされて、未来世ではもっと大変な状況になっていく・・というのが、生命の真理なのだと知らねばなりません。

それでは、どうやってこの業から解放されていくか、それに導くことが、仏教の究極の答えなのではないかと受け止めることができます。

阿摩羅識 宇宙生命

人間の生命の奥底には、阿摩羅識(あまらしき)と名付けられた生命が存在します。これは宇宙生命そのものであると説かれます。人間は大宇宙の生命そのものであり、すべての人間も大宇宙の生命として繋がっているという事になります。

近代の深層心理学に大きな影響を与えているユングは、人の心には意識のコントロールや認識を超えた「無意識」の働きがあるといい、これを「集合的無意識」と名づけました。今でいうワンネスの概念であり、近代科学もようやく九識の説く「阿頼耶識」「阿摩羅識」の存在に近づいてきたとも言えるでしょう。

さて、先ほど述べた「業の解消の仕方」を考察してみます。
人間はその人生の中で、他者を癒したり助けたら善業を積み、他者を傷つけたら悪業を積むと言いました。そしてこの業は、実際に行動に起こしたり、言葉にするよりも、心の中で思った方が「業は強い」と言われているのです。心の中で、人を憎んだり恨んだりする方が、その人を叩いたり悪口を言うより、より業が深いという事です。大変ですね。
自分の言動が元となり、間接的に周りの人々の心を傷つけている場合もあるでしょう。

これまでの人生を振り返ってみましょう。善業と悪業のどちらを多く積んでいますか?恐らくほとんどの人が、悪業の方が多いと感じるのではないでしょうか?

と言う事は、幾世も生死を繰り返してきた過去世の中で、人生を重ねるごとに、悪業が積み重なっている人の方が、圧倒的に多いのではないでしょうか?その結果の今の人生なのだと自覚しましょう。
だから「悪い事」「辛い事」「苦しい事」が起きて当然なのです。

もちろんそこから逃げたり、他者を恨んだり憎んだりしたら、さらに業を積み重ねている事になります。
それを善行で返そうとしても、借金を返してもまた増え、返してもまた増え・・結局、借金がどんどん膨らんでいくようなイメージになるのではないでしょうか?笑

だから、大宇宙はチャンスを与えてくれているのでしょう。
大宇宙と言う阿摩羅識の生命と繋がり、自分の持つ本当の使命を自覚して、現実社会でその使命に生きることで、これまで積んだ悪業という負のエネルギーを、正のエネルギーに一気に転換していく道を、与えてくれているのだと思います。九識の答えもここにあります。
きっと釈迦が説いた教えは、その道に生きる方法を教えてくれたに違いないと想像します。

それを私たちのレベルで言えば、どういう答えになるのでしょうか?
その答えを追求することが、人生なのかもしれません。
そして答えに辿り着いた人こそが、真の幸福を得られるのではないでしょうか。
私も自分で選んだ道の中で、精進していきます。

答えはすぐ目の前に

人は潜在意識の入り口にある「末那識」の影響で、自分が不満に思っている事の原因を、自分の外の環境や他者のせいにする傾向があります。これは自分という「個」を守る為の無意識下の手段なのかもしれません。

でも結果として、他者に不満を持つ。「こうなって欲しい」「こうあって欲しい」と感じ、不満を態度に表したり、心の中で感じていたり・・。そしてそうならない他者に追い討ちをかけるかのように不満を感じるのです。それが怒りとなる場合もあるでしょう。

近しい人との喧嘩の原因は、ほとんどこれなのではないでしょうか?
でも自分がどう思っても、相手がそう簡単に変わるものでもないのです。

これこそが、末那識の壁なのかもしれません。気がついていないのは自分なのです。

もし自分が現状に不満があるのなら、その状況を変えられるのは自分でしかないのです。
仮に、末那識の先にある、阿頼耶識や阿摩羅識の生命に気がついた者ならば、なおさらです。

自分が変わり、生命に変革を起こすのです。
自分が宇宙生命と自覚し、生命の幸福の為に立ち上がるのです。

もし自分が阿頼耶識の「業」に気がついたのなら、自分がその業を断ち切ればいいのです。

人間の生命の中にある「業エネルギー」という生命流は、一個人を超えて、他の生命の業エネルギーと交流していると言います。つまり生命の奥底では、「個」の業エネルギーは、家族や、さらには人類全体のエネルギーとも融合していると説かれています。

その業が他者と繋ぐもの、例えば家族の業であるならば、自分がその業を断ち切ることで、家族の持っている業をも一緒に断ち切ることができるのですから。これを示しているのが「九識」です。

末那識の壁に阻まれている者が、業を断ち切ることは難しいでしょう。業を業として認識できないから。目の前に起きている困難や不満は、自分ではない他者のせいだと思ってしまっても仕方のない事なのです。

だから気がついた者が一人で立ち上がるしかない。
でも、それで十分なのです。
一人がこの業に打ち勝ったなら、家族はもちろん、周りの人々の業をも変えていける力がある、それを阿摩羅識から学ぶことができるのです。

私たちの生命は宇宙と同一です。
であるならば、近しい人は、過去世からずっと一緒に生きてきた、同じ課題にチャレンジしている近い生命を持った「個」なのです。ずっと近くにいて、共に歩いてきた私の分身でもあるのです。

私が変われば周りは変わる。
私は変われば周りも幸せにしていける。

目を向けるのは「私」の生き方だったのです。

答えはすべて「私」の中にあります。他者の中に求める必要はないのです。
だから常に前進です。

私が幸せになれば、大切な人たちも一緒に幸せになるのですから。

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