私たちが物事が正しいかどうかを判断するにあたり、真逆の方向からアプローチする2つの方法があります。それが帰納法と演繹法です。近代哲学の祖とされる2人の哲学者の「推論」の仕方を抑えておきましょう。今後、様々な考察をする場合、色々な場面で出てくるワードとなります。
帰納法
帰納法はイギリスの哲学者であるフランシス・ベーコン(1561〜1626)が用いていたことで有名です。
ベーコンは帰納法の考え方を用いた「経験論」を生み出しました。
これは観察や実験などを行うことで、経験を積み重ねていき、真理を追求していくという方法です。
ベーコンの「知識は力なり」という言葉は有名で、まさに帰納法を端的に表した言葉です。
演繹法
一方、演繹法はフランスの哲学者であるルネ・デカルト(1596〜1650)が用いました。
デカルトは演繹法の考え方を用いた「合理論」を生み出しました。
まず普遍的な命題を元に、個別の問題の結論を導く方法です。
演繹法は、少しわかりにくいので補足します。
A「人間はいつかは死ぬ」
B「私は人間です」
C「私はいつかは死ぬ」
〜のような三段論法が有名です。
Aという大前提を元に、答えを割り出すのが一番の特徴です。
デカルトの「我思う、ゆえに我あり」の言葉はあまりに有名です。
帰納法と演繹法の実例と対比
さて、帰納法の代表は「科学」です。
よく「私は科学的なものではないと信じない」とスピリチュアルを批判する人がいますが、彼らがいう科学的なものとは、帰納法の考え方を指すと考えられます。
つまり、観察や実験など、目に見える「確かな」ものでないと、信じられません・・という主張ですね。
確かに帰納法で証明された「答え」は正しいと言えるでしょう。
一方、演繹法の一番わかりやすい代表は「宗教」です。
例えばキリスト教など、創造神を信じる宗教においては、「人間は神様が創った」というのが前提になります。
宗教で説かれる教えは「絶対的なもの」であるはずです。つまり「普遍的な真理」に他ありません。だから、人はそれを「信じる」のです。
これだけ対比しただけでも、両者の欠点が見えてくるかと思います。
帰納法の答えは正しいです。しかし、世の中には「目に見えない世界」の方が圧倒的に多いので、帰納法を追求していっても、真理にはまず到達できません。
演繹法の欠点は、大前提が間違えていたら、導き出した答えは全て覆ります。30点あげますね、というレベルではなく、0点になるのです。
もちろん、どちらの思考法も間違えというわけではなく、この両者を組み合わせていくことが、「論理的思考」となるのです。
演繹法で出した結論に対し、帰納法で証明していく・・という流れが理想です。
演繹法はトップダウンの考え方です。帰納法はボトムアップです。方向性が真逆なだけなのです。
そして演繹法の答えと、帰納法の答えが矛盾した場合は、演繹法の答えが間違えていた証拠となります。
宗教の例で考えると、説かれている教えが、科学的に「あり得ない」となった時点で、その教えは「普遍的なものではない」という結論に至ります。
数学は演繹法である
ちょっと余談ですが、私は大学の時に数学科にいました。卒業論文の課題は「0を証明すること」でした。
実は数学の世界では、0は証明できないのです。もちろん、2次元・3次元程度の初級数学では0が証明できます。しかし4次元・5次元・・の世界となると、0を証明することはできず、≒0(ほぼ0に等しい)にしかならないのです。
これは数学の世界では、0は大前提であることを意味します。0を原点と仮定して、0よりこれだけ進んだら1・・と定義して成り立っているだけの話しなのです。
これを科学的に言うと「無」は存在するのか?宇宙は「無」から生じたのか?という永遠の謎にぶつかるのです。
シン・エヴァンゲリオンの中で、シンジ君のシンクロ率0%が、実はアンフィニティ=無限大だったというシーンがありました。あれはもの凄く真実をついているのです。0=無限大。宇宙は無始無終で、宇宙に果てはない・・と言うのが真理なのかもしれません。
0は、宗教でいうところの「神」のような存在です。
実際に大学の時も、数学の合宿だといって、お寺で修行させられました。笑
話が相当それましたが、数学の世界は「演繹法」の世界です。つまり、みんなが科学「帰納法」だと思っているものも、実は科学ではない可能性があります。
近代科学は帰納法?演繹法?
近代科学の代表は、相対性理論と量子力学になるでしょう。
相対性理論は、宇宙のような遠い存在(マクロの世界)の法則を導き出したもので、量子力学は、物質を極限まで小さい単位にしていく(ミクロの世界)の法則にアプローチしたものです。
これらの科学が発展してきた転機となったのが、それまで主流であった「創造神」の思想を排除したことなのは、あまりに有名です。
さて相対性理論は、数学で解かれています。つまり「演繹」的に解明されたと捉えるべきだと思います。
量子力学に関しては、完璧に「演繹」です。
詳しく話すと、理解不能になるので、極力簡単に説明しますと、量子力学の法則は、ある方程式で証明できます。しかしその方程式に使っている「関数」は、証明されたものではなく、「たまたまこの値を使ってみたら、全ての事象が方程式通りに証明された」という内容のものなのです。
つまりこの「関数」が、演繹法でいう「大前提」になっているのです。
近代科学においては、輪廻転生や量子テレポート、パラレルワールドなどが「あり」の世界観になってきました。今更疑う必要もないほど、目に見えない世界への科学的アプローチが進んでいます。
「私は科学的なものしか信じない」という人の科学とは、大昔の古典科学で思考がストップしているようなものですね。笑
占星術は帰納法?演繹法?
こうして色々考えてみると、帰納法だけで解明されているものなど、かなり少ないことがわかります。
占星術も、たくさんの鑑定事例から統計学的に見てきた結果、として捉えた場合、帰納法的なアプローチも十分にされていると思います。
しかし「演繹法」的に捉えると、その解釈の幅がもっと膨らむのです。
最終的には、正しいか正しくないかという議論より、ピンと来るか来ないか、実際に自分に人生に役立つか立たないか、という観点で考えるのも大切かと思います。

