生命の業と対峙する②

こころ☆クラフト

この記事は前回の続きとなります。▶︎生命の業と対峙する①

さて、占星術をはじめ、いわゆる占い全般が嫌いという人は、まだ一定以上いるかと思います。私はその気持ちがわからなくもありません。なぜなら、依存してしまう人が少なからずいるからです。自分の外にある何かに頼る事は、決して良い事ではないと思います。

これは伝える側の課題でもあると思っています。
例えば、ソウルリーディングで過去世を読むのも、今の自分を知る為であり、今の自分を変える事で、未来を創る事が目的なのです。ところが、一番肝心な「今の自分を変える」という所に着眼点が向かない人も多い。

過去世を学ぶ事は、若干のリスクも伴います。過去に目が行き過ぎて、気持ちが後ろ向きになり過ぎてしまう傾向もあるのです。
今の自分の現状を、過去のせいにしてしまう人もいるでしょう。感性の鋭い人の場合、業の重みを「正確に」感じ取ってしまい、押し潰されそうな恐れを抱いてしまうかもしれません。業の重みを感じない人は、思考でしか受け取れないという「業」を持っている場合もあるのです。

この記事を書いている今でも、ソウルリーディングをどう伝えていくか?どう前向きに捉えてもらおうか試行錯誤を繰り返している状況であります。
前の記事にも書きましたが、個性占星術では自分の描いている理想の形までは実現できないかもしれない。だから”こころクラフト”を大切に育てていきたいのです。

ひとつの結論だけを書いておきましょう。
ここに書く内容を、どうやって伝えていくかが、私の課題だと思っています。

天台大師の「法華文句」に「願兼於業」という言葉があります。
これは菩薩たちが、真実の法を広める為に、敢えて悩みや煩悩を持つ「人間」として「願って」生まれる事で、人間の持つ「業」を抱え、その業を克服してより幸福な人生を送れる事を自身の姿で証明する事で、同じように悩みで苦しんでいる人を救っていく、という事を示しています。

つまり「業」の本来の目的は、単なる悪いことをした結果ではなく、悩みを乗り越え成長する事で、本当の幸福を掴んでいくため、である事がわかります。
どんなに重いと思われる業でも、自分が自ら決めた苦しみであり、敢えて設定した使命であることから、「乗り越えられないはずはない」という事も示されているのです。

ここでいう菩薩とは、神様のような超越した存在ではありません。菩薩とは「人々を幸せにしたい」と願う心であり、私たち人間の生命の中にあると解釈してください。

業の意味が、過去世で積んだ借金のようなものから根本的に変わりました。業とは、人々を幸せにするという「使命」なのだと捉える事ができます。

この真理がわかれば、ソウルリーディングを学ぶ中で、「どう自分が決めた使命に生きていくか?」という観点に変わるはずなのです。
もはや過去は向いていません。未来を見据え、今を強く生きる「私」しかいません。

言葉で表すのは、まだ簡単です。でもこれを生命で「自覚」するのは簡単なことではないと思います。
だから「教育」なのです。知識で自覚できるものではない。だから「人間教育」なのです。日々の積み重ねから、新しいものを創り出し続けていく実践の日々から、学んでいくしかないと思うのです。

タイトルとURLをコピーしました